インフレ退治の副産物 利上げ 財政逼迫の恐れ
2022/01/07
2021年の新春には民主党のバイデン新大統領の下で、米国が秩序だった方向に世界経済を導いていく期待があった。1年後の22年の初春、このシナリオに黄信号が灯っている。1.9兆ドル(約220兆円)の国民生活の支援、さらにインフラ投資といった財政計画で共和党の協力も得て、米国民の融和を訴えた大統領は成果を示した。しかし、環境政策やヘルスケアなど党内リベラル派が強く要望する政策は、昨年暮れに民主党上院議員から反対が出たために、実現の見通しが現時点で立たなくなった。
上院は50対50の拮抗状態。両党の票が党派別に割れた場合、副大統領の投票でようやく民主党の法案が通る。党内票を割らないよう中間派の意見を尊重する必要がある一方、それでリベラル派の政策が実現できなければ、今年11月の中間選挙で民主党支持者の棄権が増え、民主党は議会支配権を失いかねない。民主党が上下両院の支配を失うという見方が米国ジャーナリズムでは強い。そうなった場合、かつてのオバマ政権の2期目のように、米国は何も決められない政治に戻る。
バイデン大統領の支持率自体も40%台に低下しているが、不人気の大きな原因はインフレだ。昨年の春にも、コロナ危機の終息で消費が戻り、政府が大規模な景気刺激策を実行するのを受け、米インフレ率が上昇する可能性は経済学者から指摘されていた。しかし先進国全体での実際のインフレ率は、日本を例外として予想を大幅に上回った。
昨年11月のインフレ率は米国が6.8%、英国が5.1%。ユーロ圏の場合は4.9%だが、中でもドイツは6%だ。
その影響がすでに金融政策に見られる。コロナ危機の下で主要中央銀行は、経済の下支えのためゼロ金利政策を取り、その後も金融緩和を続ける姿勢だったが、記録的なインフレ率の影響を受け、すでに英イングランド銀行は昨年12月に利上げを決め、米連邦準備制度理事会(FRB)も今年中の2回の利上げを示唆している。背景には、ガソリン価格を中心とした物価上昇が国民にきわめて不人気だという政治事情もある。
もし主要中銀が引き締めへの本格転換をすれば、物価以外に2つの点で世界経済に副次効果がある。一つは、財政への影響だ。政府債務残高を国内総生産(GDP)で割った「政府債務残高率」はこのところ先進国で上昇傾向にある。それでも政府の金利負担が低く抑えられたのは、中央銀行がゼロ金利政策を採用したからだ。
簡単な数値例を考えよう。100兆円の債務に3%の金利が付加されて翌年の債務は103兆円、他方100兆円のGDPが5%成長して翌年105兆円となったとする。この時、政府債務残高率は当初の1から、翌年は1以下に下がる。つまり成長率が金利を上回れば、財政逼迫に歯止めが掛かる。中銀が金利をゼロにする政策を取った場合、成長率は通常ゼロを上回るためこの効果が働く。政府債務残高率が237%という高い比率ながら、日本が拡張的財政策を続けられたのはこのためだ。
中央銀行が超緩和的な政策を止めた場合、今度は金利が成長率を上回り、財政が逼迫するかもしれない。欧州連合(EU)の場合、ドイツのインフレ率はすでに6%なのに欧州中央銀行(ECB)が引き締めを明言しないのは、金利を上げればイタリア財政が危機に陥りかねないからだ。ドイツ国民のインフレ嫌いは有名だが、それでも現在のECBへの利上げ要求は異例に穏やかだ。英国のEU離脱の経験から、イタリアなど加盟国に配慮する必要性を認識したのだ。
金利引き上げのもう一つの重要な副次効果は、投資への効果、とくに昨年ブームが過熱していた分野への投資に対する効果だ。世界的低金利で安定した利ザヤが稼げる債券が存在しない中、DX、脱炭素化といった冠のついた金融商品への投資の集中が昨年見られたが、背景には値上がり期待が値上がりを呼ぶバブル的仕組みも働いていただろう。それゆえ金利が正常化する過程で整理される資産もあるはずだ。脱炭素化投資が今後とも継続されるためには、政府が脱炭素実現への決意を明示する必要がある。
最も強く明示しているのは欧州。地球温暖化防止という本来の目的以外に、2つの重要な副次目標があるからだ。一つは地政学的課題、つまりロシアへのエネルギー依存からの脱却だ。化石燃料からの脱却が世界で進めば、経済がこれ一つに依存するロシアは窮地に立ち、影響力を喪失する。国威の低下を嫌う政権は対外的冒険主義に乗り出す危険があり、ウクライナへの軍事行動が現在懸念されている。
そうなった場合、欧州は経済制裁を発動するだろうが、これに対抗して次にロシアはガス価格をつり上げる。欧州が再生エネルギーに加え、現在は原子力も再評価しているのは、こうした地政学的緊張が背景にある。
もう一つの副次目標は産業政策。欧州が検討している炭素排出量の多い国からの輸入に追加関税を掛ける国境調整措置には、脱炭素化が進む欧州を生産拠点として有利にする狙いがある。日本も脱炭素化政策を構築する上で、自国の産業を有利にする方法を選ぶべきだ。
ロシアと異なり経済条件には恵まれた中国まで、地政学的冒険に出る危険があるのは大きな問題だが、議会で指導権を失ったとしても、この問題に対しては米大統領に安全保障上の重要な権限が与えられている。地政学的冒険主義への強力な対抗策を明示することが、今後バイデン政権の活路になるかもしれない。
(読売新聞『竹森俊平の世界潮流』2022年01月07日号より転載)